独り言
学生時代の話
![]()
クルマユリ
C大に入学後、1年次の秋に学費反対運動があった。
C大の自治会はストライキを持って反対運動をし、学費値上げ撤回を勝ち取りました。
C大の教授及び職員はリベラルが多いんだと思いました。
私のC大理系サークルで都市問題研究会を立ち上げ、公害及び都市の問題等研究サークルを土木系の有志で立ち上げました。
有志は7名集まり、公害の原点を探るため勉強会を水道橋の喫茶店で始めました。
喫茶店の勉強会には文系の女性が講師として参加してくれました。
勉強会終了後本校(文系)に行き、サークルはK法守る会で法学部の学生が多数しめていました。
私も憲法守る会に参加するようになり、段々と様子がわかるようになりました。
理論のS派、ラジカルなO派に分かれてました。
私は ラジカルなO派の集会に参加するようになりました。
![]()
ニッコウクスゲK法守る会にK市の市議会議員になったK氏がいます。
学生時代からまじめな人物だと思っていました。
彼は私が結婚5年後K市移り、最初の市議会議員選挙にK氏が立候補 していました。
私はお手伝いもせず、彼に一票を投票(妻にもお願いする)することで、支援しょうと思いました。
彼は今も下位で当選し、市議会議員になっています。
亡くなったMは当時一年時に江古田住んでいたが、二年時Mは KaのいとこがいるA駅にあるH県出身で元S党副議長のT氏が経営しているH学生寮にO県出身だが、Kaの紹介で住むようになっていた。
元S党副議長は私たちがMのところにくると、Mの部屋にきて、使い古したK宣言を持ってきて、話をしてくれていました
Mの下宿先(H学生寮)で麻雀をしていると、いつもK大のK丸がきてC大のBUNは(C大は独立BUN)日和見主義だと論争をし、反帝反スタ論及びM主義を語っていました。
K丸はDR、私どもはKRで、DRが権力と結託していると論じ合いました。。
やっとKRの闘争が終焉になりました。
![]()
ハクサンフウロ2年生の時、秋から学園闘争が活発になってきました。
C大もストライキに入りました。
バリゲードを築き、入口で出入りをチェックしていました。
文系は教授等は出入り禁止をしていましたが、理系は教授等出入りさせていました。
文系の出入り禁止の為、理系でもロックアウトされてしまいました。
東大の崩壊後、文系の学生会館は開放されていました。
4月頃もやもやした気持ちになり、ぶらっと学生会館の集会に参加しましたところ、加藤登喜子の旦那,D大藤本氏が演説していました。
そこには理系自治会のN氏がいて、成田の三里塚に行こうと誘われました。
成田はどんな状態か興味があったので、成田の三里塚にゆきました。
50名くらいの参加でしたが、周りを機動隊に囲まれ、デモ行進をしました。
三里塚はテレビに映されている状況(反対派のやぐら、赤旗、機動隊)と同じでした
![]()
シラネアオイC大理工学部土木学科の仲間、都市問題研究会の仲間
闘争終了後、大学を辞め北海道で農業しに行った仲間、挫折後放浪していく仲間。
親の願いをかなえるため、大学に復学した仲間(私も復学)
その仲間も3名亡くなり、さみしい思いがします。
会えば、大学の頃の話を持ち出す事が生き甲斐のように話題にします。
人生私の親達が、戦争の頃の話をしていたのと同じだと思います
Mの実家へ旅行
![]()
シナノキンバイ50歳に成るときに亡くなった、O県のMの実家に入ったときの話。
20代の半ば頃、私とKa、Tと三人で私の車でT都からO県へ向かう。
朝6時頃に出発、順調にO県に進む、O県には昼頃着く。
O県の天満屋で、茶菓子等を物色し、Mへの土産を買う。
夕方Mの実家に行く、Mの両親の歓迎を受ける、Mはまだ仕事のため、帰宅をしていない。
Mが帰宅後、MがO市の繁華街に連れて行ってくれた。
MはO市一番のグランドキャバレーに連れてきてもらう。
O市に、バンドがあるキャバレーあるとは思えませんでした。
私はS宿に下請けの社長に連れて行ってもらったことがある、そこは映画館のM座の上にあったと思う。
後からMに負担を掛けたと思いました。
![]()
イワギキョウ翌日はO県の観光をする。K市の町並み、美術館及び鷲羽山を観光したと思います。
次の日は4人で西に向かう。
H県のF市に入った下りの国道で私はねずみ取りにスピードで捕まる。25qオーバーの為。
赤切符をもらう。
H市で原爆ドーム等の見学をし、S県に向かい、T造温泉に泊まる。
T造温泉でも学生気分を取れず、宴会をする。
そして、次の日はT県の砂丘を見学してから、MはT駅で別れる、T駅はO駅方面の路線がある。
私ら三人は、夢千代日記が有名になる前の湯村温泉に行く。
湯村温泉では、女性の呼び込みで、S劇場に行ったら、その劇場の踊り子は呼び込みの女性によるワンマンショウであった。
翌日は無事T都にもどった4泊5日の旅だった。平成7年11月10日〜11日伊豆旅行(修善寺)
![]()
![]()
友人Kiの話
![]()
ウサギキク
H19年に亡くなった友人S県H市出身でK高出のKi。
彼はMoと一緒のクラスで、このクラスで彼だけ都市問題研究会に入りました。
Moからメールがあり、Kiのことを思い出しました。
MoはT庁に入り、建設局の勤務に入る時、私とKiはMoの引っ越しの手伝いをしてあげました。
Kiと私は、大学が封鎖しているとき、私の親父の仕事を手伝ってくれました。
夜間の水道工事の仕事や下請けから元請けの社員になり、下水道の工事等をやりました。
Kiは元請けの社員として、20年間元請けが潰れるまで、その会社に勤務していました。
私もT工業を辞めてS会社に入る間、Kiの会社の仕事を手伝いました。
その頃彼は現場代理人として、直接私を雇ってくれました。
![]()
チングルマT庁の下水工事をE区で施工する現場です。
その頃の下水道局の担当がC大土木での後輩が担当していたため、私もやりやすかったです。
しかし私の工事担当の下請けはTyou系で、仕事が粗く、山止めをせず施工するため大変でした。
危険きわまりたいので、私はトランシット及びレベルを常時持って親方の監視をしていました。
そういうわけで、私はてきぱきと丁張りを掛け、そして写真を指示をして撮る為Tyの親父に気にいられました。
夜間になると、私とKiはよくK岩のサウナによく行きました。
Kiは学生の頃余りお酒は飲めませんでしたが、私と別れてから酒量が増えたのでしょう。
それは私が彼を裏切ってT工業に入ったからです。
T工業は私が卒業できたため、大学の研究室に行ってた時、募集をしていて面接をしたら、C大の先輩がいたからです。
![]()
コバイケソウKiの再就職はコンサルタント会社に入りました。
40代の後半頃、伊豆で都市問題研究会6名が集合しました。
あいも変わらず、旅館で芸者を呼び、どんちゃん騒ぎを起こしました。
公害等の問題などふっとんで、騒ぎまくりました。
Kiはその頃、スキュウバーダイビングをしていて、帰り際彼は伊豆の海に潜るため私たちと別行動で別れました。
そして私がH県で働いてるとき、亡くなったMaの墓参に、Moと一緒にO県に行きました。
その日後楽園を見学してからMoは帰宅しましたが、Kiは私が今いるH県にきてくれました。
S町の温泉に入り、飲みながらマー坊のことを気遣ってくれました。
最後に会ったのは亡くなる前、S県の病院にTと見舞いに行った事です。
彼は私たちに喋れないため、筆記で語ってくれました、私は彼の表情を見るだけで、私自身彼を裏切った事(彼を捨てた事)で悪いことをしたと思い涙がでました。平成7年11月10日〜11日伊豆旅行(修善寺)
![]()
![]()
文章がここに入ります
安達太良山へ岳温泉に宿泊
![]()
友人Fの話
![]()
ハクサンシャクナゲ友人FもH22年に亡くなりました。
彼は私と同郷のH県K市出身です。
彼もまじめ人間ですが、H県出身ですので、お酒が入ると、とんでもないことするので、大変でした。
学園闘争の頃だと思うんですが、当時理系の大学前の通りに都電が走っていました。
深夜都電が終了した後、どこで飲んできたかわからないのですが、都電の線路に寝てしまい大変なことになったことが有ります。
また近くの警察署に酔っ払って、お世話になったことを聞いたことが有ります。
お酒が弱いのではなく、当時まだ若いので、お酒の飲み方がわからない状態だと思います。
私も若いとき、酔っ払うと目が回りました。
彼と私はK教授の研究室で一緒でした。
K教授は測量研究室と河川研究室の担当でした。
![]()
ミヤマトリカブト私は河川を選考、Fは測量を選考していました。
C大の測量は夏に白馬で1週間実習する研修が有ります。
言ってみれば、修学旅行みたいものです。
私とFは研究室から講師として、測量実習の指導に参加しました。
実習は6人くらいで各般、測量器械を持って実習します。
映画の剣岳を思い出して下さい。その様子を小さくしたものです。
そして実習を終え民宿に帰り、夕食は私たちに民宿からお酒等が出ました。
夕食の飲み会で、若い学生達は飲み方を知らないため、急性胃痙攣を起こし救急車のやっかいになることがありました。
私たちは、アルバイトとして、大学から日当がでました。
![]()
イワベンケイFは就職をK教授の紹介で、HP橋梁会社に入社しました。
私がT工業で姫路にいたとき、Fは姫路で高速道路の仕事をしていました。
当然私は姫路でFと会い、飲みながら心境の愚痴をこぼしあいました。
FもHP橋梁会社で管理職となり、定年後、入院する状態に成るなど、管理職に成ることが精神的に苦労したのだろうと思いました。
Fが亡くなったことが、Fの奥さんの手紙から知り、密葬をしたという連絡でした。
Fと私の考えが少し違いが有ることはわかっていました。
私など自己本能が強いので、F見たいに従順でないのが良いのか悪いのか分かりませんが、死んでまで全うするのが良いのでしょうか。平成7年11月10日〜11日伊豆旅行(修善寺)
![]()